Overview

* 自己愛という対象関係
 コフートの独創的なところは、自己愛を自己対象(selfobject)との関係であるとしたところだろう。フロイト的な自己愛っていうのは対象に向かうべきリビドーが自分に向いてしまうというモナド的自閉というイメージがあるけど、自己愛が対象との関係に拡張されたことで、健康な自己愛という新たな視野が精神分析に加わった。

* バッド・マザー理論
 コフートは病理の原因として非共感的な自己対象、つまり母親のあり方 being を重視している。だから治療においても、治療者のあり方が問われるんだけど、optimal frustration によって欠損が修復されるという理論だから、治療者が非共感的になってしまうことが治療上の前提とされている。これは患者さんによって動かされる治療者の感情(逆転移)が、見方さえ変えれば治療につながるというのと似ている。これは大きな治療上のアイディアだと思う。

Life History

1913 0 ウィーンに生まれる。一人っ子。ユダヤ人。(3 May) 父フェリックスは第1次大戦従軍のため、5歳まで母親と二人暮し。フェリックスはコンサート・ピアニストであったが、第1次大戦後、製紙関係の事業家となる。母は"distant"で変わった人だったらしい。なぜか名前が伝わっていない。
1936 23 父フェリックス死す。
1937 24 このころアウグスト・アイヒホルン August Aichhorn の分析を受ける。
1938 25 ウィーン大学で医学の学位を得る。ロンドンに亡命するフロイトを見送る。
1981 68 10.8 シカゴのビリング病院にて死去。
1939(26) ロンドンに亡命。
1940(27) アメリカに移住。シカゴ大学病院神経科レジデント。
 シカゴ精神分析研究所でトレーニングを受ける。
 ルース・アイスラー Ruth Eissler に訓練分析を受ける。
1945(32) アメリカ市民権を得る。
1947(34) シカゴ大学医学部助教授。
1948(35) ソーシャル・ワーカーのベティ・メイヤー Betty Meyer と結婚。
1950(37) 長男、トーマス・オーガスト Thomas August 誕生。シカゴ精神分析研究所卒業。
1953(40) シカゴ精神分析研究所スタッフ。
1957(44) 「トーマス・マンのベニスに死すについて」
      「音楽の心理学機能に関する観察」
1959(46) 「内省・共感・精神分析
1960(47) 「基本規則の枠組みを越えて」
1963(50) 「精神分析の概念と理論」
1964-5(51) アメリ精神分析協会の会長
1966(53) 「自己愛の形態と変遷」
1968(55) 「自己愛パーソナリティ障害の精神分析的治療」
1969-70 「コフート自己心理学セミナー」の元となるセミナー開催
1971(58) 「自己の分析」
1975(62) 「精神分析の未来」
1977(64) 「自己の修復」
1978(65) 第1回自己心理学会。「自己の探求」(オーンシュタイン編)
     「自己の障害とその治療」(ウルフとの共著)
1979(66) 「M氏の2つの分析」
1984  「自己の治癒 How does Analysis Cure?」

Theory


古典的精神分析自己心理学
  古典的精神分析 自己心理学 Kohut
   罪悪感の人
 葛藤理論 自我、超自我エス、現実の間の葛藤。
 悲劇の人
 欠損理論 1次的欠損を防衛的構造と保障的構造が埋め合わせている。
自己愛 一次的な自己愛は対象愛に至る以前のリビドー投資の未熟な形。
二次的な自己愛は対象に向けられていたリビドーが撤去され、自己に投資される病的退行状態。(ハルトマン)
 自己の構造の安定と自己評価の維持のために必要な自己対象関係。対象愛とは異なる健康な発達ラインのひとつ
自己愛人格障害  遺伝要因を強調。誇大自己を病理と考える。
 誇大自己=理想自己・理想対象・現実自己が融合

<治療法>
 陰性治療反応に対する直面化、解釈
 自己愛を対象愛に置き換える。  環境要因を強調
 誇大自己を未熟 archaic であると考える。
 自己対象の非共感的な反応によって変容性内在化が不十分のまま発達が停止して、自己は断片化する。このため自己対象機能が十分に内在化されない。

<治療法>
 治療者は共感的に患者に接することで自己対象転移を形成し、変容性内在化を起こさせる。
攻撃性  本能によって自己の中に最初から存在する。
 自己対象の非共感的な反応によって、過度の欲求不満が起こり、自己愛の傷つき、自己の断片化が生じる。(自己愛的憤怒 narcisstic rage)
赤ちゃん  攻撃欲動、原始的な防衛及び葛藤によって危機にさらされている。
 アサーティブな存在。
健康  エディプス・コンプレックスを通過した性器性欲。
 アンビバレンスを通過した対象愛。
 記述的基準。
 倫理的な主張。働くことと、愛すること。  普遍的記述はできず、特定の個人にのみ適用が可能。
 構造的、力動的説明。
 野心、技術・才能、理想の追求。
エディプス期  性衝動が超自我の働きによって充足できない葛藤から去勢不安が生じる。克服すべき障害。神経症の原因となる重要な段階。
 自己対象から愛情と誇りに満ちた反応を受け、喜び joy にあふれる健康なもの。必ずしも去勢不安、ペニス羨望を伴わない。
 エディプス期の問題は非共感的な自己対象の反応によって、自己がまとまりをもてず、断片化し、適切な自尊心を持てないことによって起こる。この時期にのみ病因が特定されるわけではない。

内省・共感・情動調律 affect atunement

 自己心理学の概念としては共感から、情動調律に言い換えが進んでいる。
 内省  自分の内界を観察
 共感  相手になりかわって内省すること。データの収集。
 情動調律  共感による関係で結ばれた状態。


自己 self

 「自己の分析」の頃、コフートは自己を自己イメージ、自己表象という意味で使っていた。
 それが次第に「主体性の独立した中心。体験を受け入れる独立した容器」(Kohut & Wolf 1978)というように、「私 I」「私自身 myself」のような体験に近い experience-near まとまりを指すようになった。これに比べるとフロイトの自我、超自我エスという概念は体験から遠く experience-distant 、具体的なイメージを思い浮かべるのが難しい。


自己対象 selfobject(self-object)

 自己の一部として機能する外界の重要な人物を指す。ジェイコブソン、やカーンバーグのいう対象関係とは内的対象 internal object である自己表象 self representation と対象表象の関係であるのに対して、コフートの対象関係は、心的世界の中心である自己と一部が主観的な色彩を帯びた外的対象 external object の関係を指す。従ってコフート理論は現実の他者からの影響を重視するという点で外傷論に近い。


発達理論

 母親は赤ちゃんにまるで自己があるかのように反応する。母親の心の中のイメージとしてある自己を仮想自己 virtual self と呼んだ。
 コフートによれば赤ちゃんは自己主張する存在であり、自己対象からの共感的反応を当てにしている。
 赤ちゃんは自己対象(母親)の共感的な反応を通じて、徐々にまとまりを増してきて、生後2年目には中核自己 nuclear self が形成される。
 中核自己は向上心と理想という二つの極、その中間領域である才能や技術という3つの要素を持っており、双極自己 bipolar self とも呼ばれる。これら2つの極は一次的な自己愛の喪失に対する防衛として形成される。向上心の極は誇大的露出的な誇大自己 grandiose self が母親の共感的な映し返し mirroring、承認、響き返し echoing によってより現実的で成熟した向上心へと変化していく。母親が非共感的に接すると外傷体験となり、自己は断片化 fragmentationし、発達が停止してしまう。こころの構造には欠損 defect が残り、未熟な誇大自己が保持される。
 理想の極は理想化された親イマーゴ idealized parent imago であり、親が理想化を受け入れ、共感的に反応していると、赤ちゃんは最適な欲求不満 optimal frustration の中で徐々に自己対象への評価を現実的なものに改め、自分をなだめるという機能を内在化させ、自己は安定したまとまりを持つようになる。
 このような心的構造形成のプロセスを変容性内在化 transmuting internalization と呼ぶ。


自己対象転移(自己愛転移)

 自己愛人格障害の分析において、自己の欠損のために自己対象転移が引き起こされる。この転移状況が過去の外傷体験の繰り返しであるために、古典的精神分析の文脈では、マゾヒズム反復強迫などと語られるが、自己心理学的観点にたてば、あらたな成長を求める自己の健全さの現れである。

* 「自己の分析」における分類
理想化転移 idealizing transference
 理想化された親イマーゴ idealized parent imago の治療場面での再活性化
 阻害され満足されなかった発達要求克服の試み。
 古典的精神分析では攻撃性に対する防衛と見なされることが多かった。

鏡転移 mirror transference (Kohut 1971)
 「患者を認め、賞賛し、適切に褒めてくれる、応じてくれる自己対象からの確認を要求するような誇大自己が治療によって再生すること」(Lee & Martin 1991)

 1)未熟な無境界融合転移 archaic merger transference
 患者は治療者が患者の心中にある考えをわかってくれていると思い込んでいて、治療者が患者の手足であるかのような完全な支配を要求する。
 2)双子転移 twinship transference(分身転移 alter-ego transference)
 分析家が自分のようである、自分に似ていると仮定される。
 3)(狭義の)鏡転移
 治療者は別個の人間として体験されているが、患者を褒め、響き返し、映し返すことが期待されている。

 治療者の共感によって無境界融合転移→鏡転移→理想化転移と転移の質が変化し、未熟な誇大自己はしだいにまとまりのある自己へと変化する。

* 「自己の治癒」における分類
 1)映し返し無境界融合
 2)理想化無境界融合
 3)双子無境界融合
 これらのいずれも治療者が共感による共鳴をなくせば、無境界融合退行状態になる。


垂直分裂と水平分裂

自己愛人格障害の2類型
 水平分裂
  未熟な誇大自己が抑圧/否定されている。自己愛の栄養元が遮断され、自己愛が欠乏。自信喪失、抑鬱
 垂直分裂
  誇大自己が心的な現実的区域から排除されている。誇大自己は意識されている。


欠損理論

自己の分析/コフート

自己の分析
自己の分析ハインツ コフート Heinz Kohut 近藤 三男

みすず書房 1994-03
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The Analysis of the Self -A Systematic Approach to the Psychonanalytic Treatment of Narcisstic Personality Disorders-(1971)
 「自己の分析」 ハインツ・コフートみすず書房

 コフートが自我心理学の枠組みの中で、自己愛人格障害の問題を取り扱った著作。
 experience-near の訳が「経験近接的」とはほんと、experience-distant なことです。体験に近いとなぜ訳せないんだろう。

The Restration of the Self (1977)
 「自己の修復」 ハインツ・コフートみすず書房

How does Analysis Cure? (1984)
 「自己の治癒」 ハインツ・コフートみすず書房

 コフートの死後出版される。古典的精神分析の枠組みを大きく超えて、自己心理学をすべての病理の説明に拡張。
 原題は「精神分析はいかに治癒させるか?」。

コフート理論とその周辺 自己心理学をめぐって(1992)
  丸田 俊彦/岩崎学術出版

 コフート理論を、体験に近い形で生き生きと解説。入門書として最適。

Heinz Kohut and the Psychology of the Self (1996)
  「ハインツ・コフートと自己の心理学」Siegel,A.M./Routledge

The Search for the Self(1978)
  「コフート入門 自己の探求」 P・H・オーンスタイン編/岩崎学術出版

 編者オーンスタインはバリントとも交流のあった人。

Psychotherapy After Kohut(1991)
  「自己心理学精神療法 コフート以前からコフート以後へ」 R・R・リー&J・C・マーティン/岩崎学術出版

 コフート以降の自己心理学の変容がわかりやすくまとめられている。
 フェレンツィ自己心理学の源流とするあたり優れた見方。
 archaic を「未熟な」と訳すセンスはすばらしい。

Advances in Self Psychology(1980)
  「自己心理学とその臨床」 A・ゴールドバーグ編/岩崎学術出版

The Kohut Seminars on Self Psychology and Psychotherapy(1987)
  「コフート自己心理学セミナー1〜3」 ミリアム・エルソン編/金剛出版

 「自己の分析」が書かれる数年前の1969−70年にかけて行われたセミナーの記録。自己心理学コフートを期待するとちょっと違うかも。しかし、コフート思想の原点は伺える。