対象関係論の母

 対象という言葉を初めに使ったのはフロイトですが、対象関係論の生みの親というと、このメラニー・クラインがふさわしいでしょう。フロイトはもともと「対象」という言葉を欲動の向けられる対象、例えば口愛期であれば乳房という意味に使っていました。クラインはこの概念を拡張し、精神分析自由連想に現れる無意識の中のイメージの中に早期幼児期の対象との関係が現れるとしました。

死の本能論者クライン

 クラインが合理主義者っていうと、奇妙な響きですが、ここでいう「合理主義」とは哲学の概念で「経験主義」の逆の概念です。経験主義者の考える赤ん坊は「タブラ・ラサ(白紙)」の状態で生まれ、経験によってそこにいろいろなものが書き込まれているわけですが、合理主義者の考える赤ん坊は、生まれた時点ですでにいろいろなものが書き込まれているというわけです。
 精神分析上、おそらくクライン以上の合理主義者はいないでしょう。生後すぐに赤ん坊は(すでに書き込まれている)生の本能、死の本能によって緊張状態にさらされるのです。(本能二元論)クラインの発達論は発達論のようで発達論でないところがあります。なぜなら生まれてすぐに、もともと組み込まれているリビドーと、攻撃性の働きによって妄想ー分裂ポジション、抑鬱ポジションという、その後の人生でも基本となるポジションが生じてくるという訳ですから。

子ども分析と早期分析

 フロイトには症例ハンスがありますが、厳密に言えばフロイトは父親から得た情報をもとに精神分析的な解釈を加えただけで、実際にハンスを治療したわけではありません。1920 年代に子どもに対する精神分析の可否が議論の的になると、アナ・フロイトとクラインの間に大きな論争が生じました。
 アナ・フロイトは子どもは十分転移を発達させる能力がないため、陽性転移を育てるような保護的なアプローチが必要であると主張したのに対し、クラインは子どもの遊びを大人の自由連想と同じとみなすことができると主張し、陰性の転移解釈を大胆に行いました。また、大人と同様の週5日の精神分析がすべての子どもに必要であると主張しました。アナ・フロイトが「子ども分析」と成人の精神分析とは異なった分析を打ち出したのに対して、クラインが「早期分析」と、単に早期に行われる通常の分析という命名をしたのもそうした背景があります。