「夢の分析」・続

 「夢の分析」に関しての批判にronrinさんからコメントを頂きました。


ronrin 『たしかにユング親派?の人の本ってオカルト的なにおいのする本が多いと思いますが、ユング自身の「元型論」などはなかなかおもしろいと思いますよ。また、『夢の分析』はそういうオカルト色はない良書だと思いました。むしろ、オカルト的な思考を含めてそういう思考、意識のあり方を論じている本ではないでしょうか』

# 裕 『コメントありがとうございます。ご指摘の通り、オカルティズムというより、近代的自意識の発見という物語がこの本の主題だと思いますが、それをこの夢に表されている日本的な穢れー祓いというモチーフに適応して良いのかというのが私の批判です。いろいろ刺激を受けた本ではあります。』

# ronrin 『とてもおもしろいのでときどき見にこさせていただいている者です。
リコメントありがとうございました。川嵜克哲氏の『夢の分析』ですが、私の理解ではあれは「日本的な穢れー祓い」というモチーフに適用させているのではなく、「たまたま」そういう側面をもつ事例をとりあげて、そういった前近代から近代自我への変遷をたどる「のではなく」(たしかにこの記述の分量が多いのですが)、前近代でも近代でも、またポストモダンでもない意識のあり方を探っている本かなという気がしました。その意味で裕さんの言われている「「山が見える」と主客の判然としないサンスクリットでいえば中動相で自然と向き合う私たちに。」というとても興味深い観点とかなり重なるのではないかと思いました。』

 はい。コメントありがとうございます。「穢れー祓い」という日本的なテーマが抜け落ちているところが不満なのです。本が手元にないので不正確かもしれませんが、最初の海のシーンが対象と出会えない不安というのが違うのではないでしょうか。確か川嵜さんは桃太郎が鬼と出会えない不安を例に出していましたが、桃太郎が戦時中にどういう使われ方をしたかを思い出すべきだろうと思います。鬼を求めて桃太郎が征伐に行くのではなく、桃太郎が征伐に行くからこそ悪しき対象が生み出されるのでしょう。(エヴァンゲリオン使徒のようなものかな・・・)
 とはいえ、もう少しきちんと論をまとめてみたい気持ちになりました。「臨床心理学研究」にでも投稿してみようかな。