第2次大戦直後の1946年に若くしてなくなった千野敏子が戦中につけていた4冊の「真実ノート」から。巻頭にあげられた学友と一緒の写真は絵に描いたような純朴で天真爛漫な女学生だが、友人関係を怜悧にみつめ内省を続ける姿は魅力的だ。
大本営発表の矛盾、ソ連参戦で日本の敗北を予想、中国とソヴィエトにあこがれ、戦中に『カラマゾフの兄弟』を読み、その映画化を夢想する。
いくつか詩も含まれていて、星を歌った詩が多い。
諏訪市の出身ということで、すぐに上田市出身の清水澄子のことを連想すると、ノートの中の記載にでくわした。
むかし評判だったという『ささやき』というのを読む。あの女学生にはたしかに天才的なひらめきはあるが、しかし深遠ではない。そしてやっぱりあれは大正時代だ。それからあれだけの理由で別に自殺するにはおよばないと思った。あんなような自殺が流行したから、自殺とは軽はずみな行為だと人々は思うようになったのだ。
千野敏子は「自殺を全肯定する」と述べていながら、自分が自殺することは否定し、実際に病没した。
千野帽子さんの千野と千野敏子の千野は関係あるのかしら?
葦折れぬ―千野敏子真実ノート (1973年) | |
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