初学者へのアドバイスについて
このツィート見てちょっと思い出したので書いておく。
学生の頃「〇〇〇について、初心者向けの、わかりやすい本を教えてください」と聞く友人に対して、ある現代フランス思想専門の教授が「きみには無理だ。やめておきたまえ」とそっけなく返事した場面に遭遇したことがあります。
— 大塚紳一郎 (@woodcutter0825) 2019年10月5日
この返答に友人はいたく憤慨していましたし、見ていたぼくも血の気がひく思いがしましたが、あらためて考えてみると、このやりとりはじつに教育的なものだったのかもしれない。実際のところ、この出来事のあと、友人もぼくも〇〇〇についていろいろな本を読むようになりましたから。
— 大塚紳一郎 (@woodcutter0825) 2019年10月5日
私たちが本当に何かを学ぼうとするのならば、欲望はまず他者から転移されなければならない…ということで。
— 大塚紳一郎 (@woodcutter0825) 2019年10月5日
ただのアカハラを無理に肯定的に意味づけなくてもいいのではないでしょうか。自分で試行錯誤してみつけるべきだというとなら、そう伝えればいいだけですよね。 https://t.co/bVVu9G17f4
— 裕 (@you999) 2019年10月5日
福井大に勤めているときに神田橋條治先生が金沢に来るというので事例検討の発表を頼まれた。発表者はもうひとりいて、その人の発表のときに先生が発表者に「喪について基本的なことを理解しておいたほうがいい」といって、「何かいい本があるかな?」と話を振られた。それで「小此木先生が対象喪失という本を書いています」と答えたんだけど、自分で言うのも何だけどこういう役割に自分は適任だと思うし、自分の臨床の基本的なあり方だと思うわけ。神田橋先生は私についてそれほど個人的な情報をもっているわけではないんだけど、そういうことをスッというところが恐ろしい。
気づくといつのまににかネットでも「分析の隠れ身と破れ見の出典は・・・」とかやっていて、これが神田橋先生とのやり取りの再演(神田橋先生はいないけど)だということに改めて気づくし、初学者の疑問に肩代わりすることなく丁寧に応えることの重要性を感じる。とにかくけちったり、相手を落としめたりしても何もいいことがないですよ。