生涯

 中産階級で厳格なプロテスタントの両親のもとに一人っ子としてエジンバラに生まれ、生涯のほとんどをこの地で過ごす。1911年にエジンバラ大学で哲学の修士の学位を取得。その後3年エンジバラ大学、キール大学、ストラスブール大学マンチェスター大学で神学とヘレニズム期の古典ギリシア語を学ぶ。第一次大戦では従軍しエジプト・パレスチナに派兵される。1915年に医師で社会文化人類学者であるリバーズ W.H.R. Rivers の経営するエジンバラのCraiglockhart 病院を訪れ、「シェル・ショック」の患者に出会う。復員後エジンバラ大学医学部で学び1923年に医学士を取得。1923-24年 王立エジンバラ病院で Assistant Psysician として働く。E.H.Connell(オーストリア人の精神分析家、アーネスト・ジョーンズより訓練分析を受ける。「人格の精神分析学」の序文をジョーンズが書いているのはこの人脈) より訓練分析を受ける。1925年より精神分析の個人開業を開始。1926年に妻Maryと結婚、男子2人、女児1人をもうける。1929年にフロイトとジャネを比較した「医療心理学的視点からみた解離と抑圧の関係」で医学博士号を取得。1929年国際精神分析学会大会に参加(この時の集合写真が「フロイトと後継者たち(下)」に掲載されている。フェレンツィの前に座っているのがフェアベアン?)。1931年にイギリス精神分析協会副会員、1935年に正会員となる。1933年にドイツに旅行。1952年に唯一の著作集である「人格の精神分析学」を出版するが、同年アルコール依存だった妻を亡くす。1959年に再婚。1964年に75才で亡くなる。