翻訳としての人間/石澤誠一

 なぜかボブ・ディランから始まるラカン論。自分だけがラカンがわかっている、まわりの莫迦どもはラカンがわかってない・・・っていつものラカン感染かと思って辟易しつつ読みましたが、ところどころどころはっとするところもあり。
 例えば、「オィディプス王」のオィディプスの発言「彼らはどこにいるのか?」のギリシア語原文に
 οι δ ειδι που γης.
 オイディプスというアナグラムが隠されている、という部分。ただしここでいうアナグラムは私達が普通使う、有る文章、単語の文字全てを使って別の単語、文章を作るという意味ではなく、ソシュールが使った、有る文章の主題となる単語がバラバラになって文の前後に現れるというものだ。

  • p.7 Blind Boy Grunt (盲滅法ドナリチラス餓鬼) → ボブ・ディランの以前の芸名。Blind Lemon とか盲人のブルース・シンガーを擬したものと思われ、この訳はいただけない。

翻訳としての人間―フロイト=ラカン精神分析の視座
翻訳としての人間―フロイト=ラカン精神分析の視座石澤 誠一

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