生涯

 1892年2月21日ニューヨーク州ノーウィッチにアイルランド系移民として生まれる。父親はティモシー。母親はエラ。三人同胞の末子だが、兄二人はいずれも生後1年以内に亡くなっている。母親はサリヴァンが4歳の時に鬱病のすえ亡くなる。サリヴァンはひどい蜘蛛恐怖となり、後年蜘蛛は母親の象徴であったと述べる。
 コーネル大学(数学・物理学専攻)在学中に薬物盗難事件に関与したために逮捕され、1909年度停学となる。何らかの施設(精神病院説あり)に収容され、そのまま退学となる。
1911 シカゴ医学校に入学。
1916 徴兵されイリノイ州兵となるが、落馬による骨折のため除隊。同年、初めて精神分析を受ける。
1917 医学博士号を取得。
1922-3 ワシントンD.C.のセント・エリザベス病院退役軍人局渉外担当として勤務。
1923 メリーランド州ボルチモアのシェパード&イーノック・プラット病院に勤務。男性看護師からなる集中的な治療体制を試みる。
1925 "The Oral Stage"
1929 ニューヨークで開業。このころ、"Personal Psychopathology"執筆開始。(-1933)(死後出版される)
1938 "The Data of Psychiatry"
1940 「現代精神医学の概念」出版。
1942 チェストナット・ロッジのコンサルタントとなる。
1949 1月14日 パリにて死す。享年57歳。
1953 「精神医学は対人関係論である」出版。
1954 「精神医学的面接」出版。
1956 「精神医学の臨床的研究」出版。