ナラティヴ・セラピーの世界/小森康永・野口裕二・野村直樹


序章 ナラティヴ・セラピーの世界へ
第1部 ナラティヴ・セラピーの背景(社会構成主義という視点―バーガー&ルックマン再考 野口裕二
病いの経験を聴く―医療人類学の系譜とナラティヴ・アプローチ 江口重幸
実証から実践へ〜ガーゲンの社会心理学〜 杉万俊夫・深尾誠
第2部 ナラティヴ・セラピーの隣接
精神分析と物語(ナラティヴ) 森岡正芳
フェミニスト・セラピー―共感と安全を保障するつながり 平川和子
セラピーの政治学 マイケル・ホワイト
第3部 ナラティヴ・セラピーの姿勢
リ・ストーリングとリフレイミング 小森康永
セラピーにおけるアカウンタビリティ 山田富秋
無知のアプローチとは何か 野村直樹
第4部 ナラティヴ・セラピーの実践
老人は痴呆のふりをしているのか? 小森康永
うつの母親と二人の娘―外在化における意味の再考 土岐篤志
行動化を繰り返した青年と家族との物語 楢林理一郎
 社会構成主義の考えにおいては「現実は社会的に構成される」。その契機となるのは、外在化、客体化、内在化である。精神分析で言えば、投影同一化の機制ということになるだろうか。我々は正常−異常という区分を所与のものとして考えてしまいがちだが、例えば精神分析という思想体系がヒステリーという概念を紡ぎ出すときに初めて、ヒステリーという存在が外在化され、それが客体化し、精神分析の治療を経て健康な人間へと内在化され回収される。そう考えると、精神医学の概念の変転とともに病の領域までが変転していくことはうまく説明できる。ただわからないのはナラティブ・セラピーと精神分析は何が決定的に異なるのかと言うところだ。精神分析も洞察というあらたなストーリーをくみ上げることに変わりはない。そこで問題にされるのは治療関係の持つ支配構造なのか、それとも単なる技法の差異なのか。ナラティブは個人と関係と社会に注目すると言うが、イメージが掴めない。

ナラティヴ・セラピーの世界
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