ブレンダと呼ばれた少年/ジョン・コラピント

 「ジェンダーアイデンティティ」という用語を作り出し、ジョン・ホプキンス大学にジェンダー・クリニックを開設したサイコロジストのジョン・マネージェンダーとは生物学的に決定されるのではなく、環境によって決まるというという彼の思想は「ジェンダー・フリー」という従来の性概念にとらわれない自由な性のあり方に大きな影響を与えた。性同一性障害の人々の性別適合手術や法律上の性の変更が認められたのも、同性愛と同様にいまやDSM精神疾患からはずされることが見当されているのもこうした流れにそったものだ。しかし、生物学的な側面や本人の性自認を軽視したやり方には、一方で多くの批判も招いた。マネーは「ブレンダ」のような幼少時に包茎手術でペニスに損傷を受けた少年だけでなく、インターセックス(半陰陽)の子どもに対しても、本人の意向は無視した早期の「性別適合」を先導してきた。このドキュメンタリで取り上げられた少年は、マネーの治療方針通りに女の子として育てられた。しかし、本人の意志とは関係なく与えられたジェンダーはさまざまな問題を引き起こす。
 マネーという人は性倒錯の研究者でもあり、医学生に対して乱交セックスやさまざまなフェティシズムが描かれたポルノを見せたりという過激な性教育主義者で、子どもに対してもセックスの写真を見せたり、男女どちらに性欲を感じるかを詳細に詮索した。この少年が示していた多くの男性的な特徴にもかかわらず、マネーは社会的な環境によってジェンダーは決定されると論文や著作で大きく取り上げ、フェミニズムにも大きな影響を与えた。しかし、少年は勧められた膣形成手術をかたくなに拒否し、思春期になって男性して生きることを選ぶ。いったんは結婚し、自らの生涯をマスコミの前で語ったりするが、父親のアルコール嗜癖、母親の鬱病、双子のきょうだいの自殺、離婚と事業の失敗などを経て、ディビッドはついに自殺してしまう。
 やはり思うのは、自己決定の重要さと極端な学説の持つ現実的な悪影響ということだ。マネーは政府から莫大な研究予算を獲得したり、一時期は性医学関係の大物であったが、その後大学では失脚、彼の後任者は極端な保守主義者で性同一性障害もパーソナリティ障害にすぎず、その存在も性別適合手術もいっさい認めなかったという。

ブレンダと呼ばれた少年
ブレンダと呼ばれた少年ジョン・コラピント

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