オィディプスは別に母親を巡って父親とライヴァル関係にあったわけではなかった。むしろ実質的な親といってもいい育ての親を傷つけることを心配して、自ら放浪の旅に出ている。これを三角関係と読み替えたフロイトの物語は、彼の個人史上の問題が濃厚に反映している。
同じように日本の精神分析のパイオニアであった古澤平作による阿闍世コンプレックスも、本来の父殺しという物語が、さまざまな文脈によって母殺しの問題と置き換えられる。
そうしたナラティブ上の変遷をたどった著作。
スフィンクスの恐ろしい母親としての側面は自分も結構講義で取り上げていて論文も書こうと思っていたが、この本を読んだら結構先行研究があるので萎えた。
どうも実感的にはぴんとこなくて歴史的な意味くらいにしか注目していなかったのだけれど、高野晶先生の自殺未遂のフォローから始まった事例を読んでなるほど未生怨とはこういうことかと思った。
この患者さんはもともと母親に強いアンビバレントを持っていたのだけれど、自殺未遂のフォローに関わった筆者に対して、なぜ自分を生き返らせた=生んだのかという転移が生じるという話。
最大の読みどころは古澤によって分析され、しかも精神分析の本流とは一定の距離を取ったふたりの精神分析家、木田惠子と佐藤紀子による古澤平作の実像だろう。
考えれば大家族の九番目の子供として生まれ、すぐしたの妹が「トメ」と名付けられている古澤は臨まれた妊娠とはいえなかったかもしれず、青年期に結核で片目を失明していた古澤にとって、ふくれ足で結局は盲目となるエディプスや、出生児に母親から投げ捨てられたことによって指を骨折していた阿闍世はやはりさまざまな投影を投げかけやすいキャラクターだったのではないか。
結婚時に夫の連れ子に障害児がいたため、義理の息子の教育のために古澤平作から精神分析を学び、この原稿執筆時には実子の木田高介(元ジャックス)は交通事故で亡くなっていた木田惠子に取ってもやはりこのテーマは微妙なものでありえただろう。
また古澤平作からの分析を受けるのに、心理で女性であったため自分だけが不当な扱いを受けたと、教育分析の初日に訴えた佐藤紀子にも。被虐待児であるうえに、父を殺し母を犯すファンタジーの体現者としていわばセカンド・レイプされるオイディプスを弁護する佐藤の姿勢には共感を覚える。
- p.263 パイン(Pines)→パインズ
- 横山博論文 「クリュタイメーストラー」「オレステス」とギリシア語の長母音、短母音の混在が気持ち悪い。原音表記に従えば「クリュタイムネーストラー」、「オレステース」。自分は結構原音表記を好む方だけど、ギリシア語に関してはちょっとためらいがある。「ソークラテース」「オィディプース」とかちょっと間延びしている感じだ。
阿闍世コンプレックス | |
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