「うちのお父さんは優しい―検証 金属バット殺人事件/鳥越俊太郎 後藤和夫」

 大学でやっている講義でよく物事の起源を問う質問を学生にしている。ネット社会は情報社会でいろいろな時代の情報が横並びになっているので、歴史の流れというものが見えにくいというせいもある。
 ロックがブルースから派生した、なんてことを知っている学生の方が少ないのには驚かされる。
 「DVってなんで英語の略称を使うの?」っていうのも問題として成立するかもしれない。
 答えは「家庭内暴力」という訳語が日本語では主に「子どもから親への暴力」を意味し、世界で普通このことばがさししめす「夫から妻への暴力」とのあいだにずれが生じてしまったから。
 日本では「家庭内暴力」は、不登校など何らかの形で不適応を示す子どもの問題行動という意味で使われ始めた。
 この本で描き出されているように、子どもを暴力をふるうまで追い詰めてしまった親の問題点が強調され、親が子どもの気持ちを理解することが推奨された。
 しかし、配偶者間のDVと対比させてみればわかるように、それは暴力の問題性を軽視しており、DV論の初期に提唱された「バタード・ウーマン」(殴られる女性)のように、被害者側に問題を押しつけてしまう。
 もちろん、親の側が子どもの暴力を引き出しているような事例もあるだろうが、基本的には被害者をエンパワーし、暴力には抵抗する、あるいはそこから距離をとるというのが、現在における定跡だろう。
 東大出身、共産主義系出版社の編集者、精神科ソーシャルワーカーを経て学会事務員をしていた父親が、14歳の息子を殺害するという痛ましい事件を通じて、この本はそのような家庭内暴力に対する社会のとらえ方を描き出している。
 当時、専門家が子どもの暴力を受容するように勧めたという報道があって、変なロジャーリアンのカウンセラーにでも相談していたのかと想像していた。
 しかし、本書を読んでみると、父親は家庭内暴力の専門書を書いている筑波大の精神科医稲村博(斎藤環の師匠)、思春期・青年期中心のデイケアを運営していたEクリニック、これも青年期・思春期の入院治療では有名な都立のU病院、有名フリースクールなど、結構当時の家庭内暴力相談としては適切と思われるような機関に相談に行っている。
 しかし、残念ながら家族のもっている奇妙な力動に専門家は介入することはできなかった。本書をよく読むと「専門家は誰も暴力を避けろとは言わなかった」というのは弁護上の戦略という面もあり、専門家の中には父親が暴力に従うことに警告をした人もいたらしいようだが。
 父親が息子の暴力を受容していくなかで殺人までに追い詰められていくプロセスは、どこか連合赤軍内部の殺しあいを連想させて、読むのが苦しくなった。
 専門家が時代の主要な見方から受けざるをえない制約について考えるには良い本だと思う。

うちのお父さんは優しい―検証 金属バット殺人事件
うちのお父さんは優しい―検証 金属バット殺人事件鳥越 俊太郎 後藤 和夫

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