「東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章/山本史郎」
村岡花子が「赤毛のアン」でマシューの死後のマリラの独白を大幅カットしたのはなぜか?「ジェーン・エア」の最後で空間を超えて声がジェーンに聞こえてしまうというオカルト現象はなぜ生じたのか?
問いは凄く魅力的なんだけど、その答えがちょっとありきたりで残念。
著者はポストモダン的な「作者の死」を否定して、作者の意図に迫ろうとしているんだけど、そうするとどうしても講師が学生に対して「真実を知るもの」として描かれてしまい、講義の対話が予定調和に終わってしまうところも残念。