テオドール・リップスの「感情移入」

 エンパシーの元概念として哲学者・心理学者テオドール・リップスの「感情移入」が引き合いに出されるんだけど、これはぼくらが普通思い浮かべるような「感情移入」とは全然違うものも含んでいる。リップスの「心理学原論」の「幾何学的錯視」の項に次のような記述がある。


 (2)「対象説」。この説の一種が吾々の「感情移入説」である。「対象説」に従えばここに言う錯覚は私の視覚像、それが感性的視野に於ける配列をも含んで、私の視覚像とは全く無関係である。寧ろ説明はこうである。かの視覚心像から私が精神的の眼で引出してみる諸「対象」の中に、従って錯覚が関係する所の、点・線・距離など「それ自身」の中に、事情によって、私にとって、一契機が存する・私はそれの内に、勿論「精神の眼」を以て、それに属する特徴として、或は対象それ自身を共に構成する因子として、ある要素をその中に「見る」、事情の下には私にとってその中に存しない要素を見るのである。 「心理学原論」 大脇義一訳 新かなに訂正 p.173-174

 訳が古くてわかりにくいのだけれど、リップスが錯視の理解ために使っている「統覚的感情移入」にはほとんど「感情」は関係なく、「感覚移入」とでも訳した方が通じるだろう。むしろ精神分析でいう「投影」に近いような気もする。後の方に「共感」「エンパシー」に近い感情移入も出てくるのでちょっと混乱する。


 辞書見てて混同しちゃったけど、"Einfuhlung" も "Einfuhrung" にも「感情移入」って語義が載っている。どういうこと?まぎらわしいね。


心理学原論 (1950年) (岩波文庫)
テオドール・リップス 大脇 義一

心理学原論 (1950年) (岩波文庫)

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