「驚きの介護民俗学」/「千年少女」

エヴァ

 後で見ようかなとは思ってましたが、TVで煽られて結局見にいってしまいました。後は学生相談研修会の準備・・・・。

驚きの介護民俗学/六車由美

 大学の教員を辞めて、介護の現場で高齢者の話に耳を傾ける「介護民俗学」を実践してる著者のほんとうに豊かな関わりの世界。
 


 そこでは利用者は、聴き手に知らない世界を教えてくれる師となる。日常的な介護の場面では常に介護される側、助けられる側、という受動的で劣位な「されるが側」にいる利用者がここでは話してあげる側、教えてあげる側という能動的で優位な「してあげる側」になる。その関係は、聞き書きが終了して日常生活に戻れば解消されてしまう一時的なものではあるが、そうした介護者と被介護者との関係のダイナミズムはターミナル期を迎えた高齢者の生活をより豊かにするきっかけとなるのではないか。そう思えるのである。(p.168-169)
 ここに書かれていることは日本臨床心理学会が主張してきた「される側に学ぶ」というテーゼにいっけんするとよく似ているが、それよりさらにラディカルなものである。臨床心理学会の「される側」理論を煎じ詰めて言えば、結局は資本家−労働者という搾取モデルであって、この役割が逆転することはない。労働者はつねに弱者故に正しい。かつてロシア革命前夜に知識層がナドローニキ(民衆の中へ)というスローガンで労働者の中に入っていくわけだけれど、それと同様に優位者たるカウンセラーは弱者に学ばなければならない。このような主張は共産主義が結局は独裁と大量殺戮へとつながったのと同じ過ちを犯していると思う。
 自分も講義でもセラピーでも著者が述べているような逆転現象が自然に起こるような環境作りを目指している(つもり)。


 シモーヌ・ヴェーユばりの著者の献身ぶりには頭が下がるが、それでも人員の関係で負担が増えていくと「聞き書き」ができなくなって消耗していくというくだりには共感した。
 基本的に精神科病院も病院と言うよりは施設(入院しなくてもいい人がはいっているという意味で)だから、とても似たところがある。病棟所属になったときは倉庫に眠っている患者さんのカルテを読み返したものだ。系統的に書かれている訳ではないけれど、時々事例検討の資料なんかがはさまっているから患者さんが病院でどんなふうにすごしてきたか、長い入院期間の患者さんだと20年以上もの病歴が書かれていたりする。そこには確かに「驚き」がある。通常の生活をしていると見えないような患者さんの、残念ながら介護民俗学のように過去の忘れられた情報ではなくて、トラウマティックな状況なんだけど。
 そういう関わりはもちろん喜びもあるんだけど、たとえばデイケアに所属すると土日遅番含む交代勤務になって継続した集団精神療法などを続けるのが困難になってやはり自分も消耗していったのだ。そういうことが起こらないようにするためには、やはり個人の努力だけでは限界がある。自分が勤めていた病院も結局は心理士という名前で勤める人はいなくなった。


 そんなわけでサイコロジストも学ぶことの多い書籍。オススメです。

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