生涯

1896 0 ブダペシュトにてユダヤハンガリー人として出生。(3 Dec) 本名 Mihaly Bergsmann。Michael とは英語読み。第1次世界大戦によるハンガリー独立によるマジャール化の流れで、ハンガリー風の Balint を名乗る。

1919 23 ブダペシュト大学でフェレンツィの講義に出席。
1921 25 ベルリンに移住。
1922 26 アリスとともにハンス・ザックスの教育分析を受ける。
1924 28 ブダペシュトに戻り、アリスとともにフェレンツィの教育分析を受ける。
1925 29 「倒錯かヒステリー兆候か」
1926 30 フェレンツィとの教育分析を終了。教育分析家となる。
1927 31 「パブロフ」
1930 34 「生物発生基本原則と性心理とには平行性がある」
1932 36 「性格分析と新規蒔き直し」
1933 37 「老化の心理学的問題」
「自我欲動のエロス成分についての二覚書」
「感情転移について」
1934 38 「青年の自慰に対する闘争」
精神分析家としてのシャンドール・フェレンツィ博士」
1935 39 ブダペシュト精神分析研究所の指導者となる。(-1939)
フェレンツィの実験を受けた患者のその後を調査。
「リビドーの前性器的編成の理論に対する批判的覚書」
精神分析治療の最終目標」
フェティシズムへの貢献」
1936 40 「エロスとアフロディテ
1937 41 「自我の初期発達段階、一次対象愛」
「成熟の心理学への貢献」
1938 42 「自我の強さ、自我の教育、学習」
1939 43 イギリス、マンチェスターに亡命。(Jan)
「転移と逆転移」(アリスとの共著)
「自我強度と教育」
1940 44 アリス大動脈瘤で死去。(Aug)
1942 46 「精神分裂病の幻覚期における現実検討」
1945 49 ロンドンに移住。以前バリントが分析し、分析家となっていた Edna Oakeshott と2度目の結婚。(Oct)
両親がナチスにとらえられることを恐れ自殺。
1947 51 エドナと離婚。
「性器愛について」
精神分析家の訓練システムについて」
1948 52 タヴィストック・クリニックのスタッフになる。
「ゾンディの運命分析と衝動診断」
1949 53 「治療目的と技法との変遷」
「分析の終結について」
「故シャンドール・フェレンツィ 1933年」
1951 55 「愛と憎しみについて」
1952 56 第一著作集「一次愛と精神分析の技法」
「新規蒔き直しと妄想抑鬱症候群」
1953 57 Enid Eichholz と3度目の結婚。
精神分析訓練と教育分析」
1956 60 「倒錯と性器性」
1957 61 第二著作集「人間の喜びと行動の問題」
1959 63 「スリルと退行」
1961 65 「親と幼児の関係論」
1968 72 「基底欠損」
1970 74 死去。(31 Dec)
1972   Focal Psycotherapy (イーニド , Paul Ornstein と共著)
1973   「患者のための6分間」