フロイト

精神分析 Psychoanalysis

精神分析とは、ユダヤ人の精神科医フロイトによって創設された神経症の治療方法です。週4回から5回50分のセッションが自由連想法に基づいて行われます。自由連想法においては、患者さんは寝椅子に横になり、分析者は患者さんから見えないように頭の後ろのほうに座ります。そして患者さんは頭に浮かんでくることをすべて言葉にするように求められます。しかし自由に連想するということは難しく、沈黙によって連想がとぎれたり、何かの話題が避けられたりして言葉にされないということが起こってきます。これは抵抗と呼ばれます。なぜ抵抗が生じるかというと、こころが自らを守る手段として防衛というテクニックを使っているからです。分析者はこれらの抵抗や防衛の奥にある無意識を解釈していきます。

外傷論と本能論

 フロイトはヒステリー患者の治療体験から、神経症の病因を両親から受けた性的な外傷体験が無意識の中に抑圧されたことによるものと考えていました。このため治療方法は抑圧されていた感情の発散、除反応によるものでした。
 フロイトがこんな風に考えたのは、ヒステリー患者が実際に両親から受けた性的外傷体験を治療の中で述べることがあったからなのですが、どうもその中に実際にはそのような外傷体験がなかったと思われる例があることがわかってきました。そこでフロイトは考えを改めて、実際に外傷体験を受けたかどうかが問題ではなくて、もともと子どもの中には異性の親を好きになるという欲動があって、これを抑圧することによって神経症が生じると考えたんですね。幼児のこころは欲動に支配されているんだけど、現実に生きていくと、その欲動が満たされず押し殺さなければいけない場面がでてくる。これによって欲動の中から現実的な「わたしというもの」すなわち自我が分化していくと考えました。この考えでは外界は欲動を妨げるものという機能がメインになり、力点はあくまで欲動に置かれています。
 これに対して環境の、欲動を妨げるという単純なものでなく、複雑な相互作用によってこころの構造ができるという考え方があります。フロイトの「超自我」の概念は、この考えによるものです。乳児が母親との間でいろいろな情動体験をすることによって、こころの中の構造が分化していくという考え方は対象関係論的な考えといいます。
 対象関係論の元祖はメラニー・クラインですが、彼女の理論はフロイトの欲動論がベースで、対象関係論といいつつもかなり欲動論の色彩が強かったのです。彼女の影響を受けながらフェアバーンは欲動論を完全に否定し(エスの存在を否定)、対象との関係が心の構造を形作っていくプロセスを描き出しました。
 このような対象関係論がイギリスで発展する一方、アメリカでは自我心理学が花盛りでした。ここでこころの構造形成に対象との関係が重要な働きをすることに着目したのが、ジェイコブソンやカーンバーグです。彼らは自我心理学の枠組みの中に対象との関係という視点を取り組みました。


治療論としての対象関係論 〜中立性、禁欲原則を巡って〜

 古典的な精神分析の治療論においては治療者は、患者さんが自由連想の中で語るさまざまな欲求を満たしたり、こころを動かされたりすることなく外科手術のように解釈を投与していけばいいはずでした。
 ところが対象関係理論が導入され対象との関係が心の構造を分化させていくという発達モデルが打ち出されるとともに、治療者のイメージも変化していきました。フロイトにとってはなくすべきものであった逆転移も、ハイマンらの仕事によって治療に役立つ手がかりとなるということも明らかになってきました。現在は鏡のように患者さんの心の中を映し出すという治療者イメージよりも、自己心理学派のように共感を強調したり、場合によっては患者さんのニードを満たす治療者イメージも増えているように思います。

Life History

西暦 年齢
1815.12.18 ヤーコプ誕生
1835.8.18 アマーリア誕生
1855.7.29 ヤーコプとアマーリア結婚  
1856.5.6 0 父ヤーコプと三番目の妻アマーリアの子どもとして Freiberg にて誕生
1860.4 4 ウィーンに移住。
1861.7.26 マルタ・ベルナイス誕生
1865 9 Leopoldstädter Communal-Real-Obergymnasium に入学。
1873 17 ウィーン大学に入学。医学を学ぶ。
1880 24 Joseph Breuer、当時21歳のベルタ・パッペンハイム(Anna O)の治療を開始。(Dec 1880-Jun 1882)
1881 25 最終試験に合格。学位を得る。
1882.4  マルタと初めて会う。
1882.6.17 マルタと婚約。
1884 28 局所麻酔としてコカインの使用を着想。
1885.9.5 私講師の地位に就く。
1885 29 パリ、サルペトリエール病院のシャルコー Charcot の元を訪れ、催眠を学ぶ。
1886.4.25 開業
1886.9.13 マルタと結婚。
1887 31 催眠療法を開始。
1888 32 ベルネームの催眠療法の著作「暗示とその治療への適用」をドイツ語に翻訳。
1889 33 ベルネームと Liebault,G. より催眠療法を学ぶ。
カタルシス法を治療に導入。
1891夏 ベルクガッセに転居
1892 36  このころより自由連想法を開始。
1892.12-1893 症例ルーシーR
1894 38 「防衛神経精神病」
1895 39 娘 Anna 誕生。
「ヒステリー研究」
「イルマの夢」を見る。(24 Jul)
「科学的心理学草稿」(Nov)
「夢判断」執筆開始。
1896 40 父ヤーコプ死去。
1897 41 フリースとの関係が親密になる。
「誘惑理論」の破棄。
1899 43 症例ドラの治療。(Oct-Dec)
「夢判断」(Nov)
1900 44  
1901 45 「日常生活の精神病理学
1902 46 ウィーン大学の員外教授となる。心理学水曜会の開始。
1904 48 「フロイト精神分析の方法」
1905 49 「あるヒステリー患者の分析の断片」(症例ドラ)
「性欲論三篇」
1906 50 ユング及びチューリヒ学派、フロイト派に合流。
1908  52   心理学水曜会、「ウィーン精神分析協会」と改名。
1909 53 ユングフェレンツィとともに Clark 大学での講演のため訪米。
1910 54 「精神分析療法の今後の可能性」
1910.3.10-11 ニュルンベルクで第2回精神分析大会
1911 55 「自伝的に記述されたパラノイアに関する精神分析的考察」(症例シュレーバー
1912 56 「転移の力動性について」
「トーテムとタブー」
1914 58 「ナルシズム入門」
ミケランジェロのモーゼ」
精神分析運動の歴史」
1915 59 「欲動とその運命」
ウィーン大学で講義(-1917)
1916 60 「精神分析入門」
1917 61 「喪とメランコリー」
1918 ブダペストで国際精神分析大会
1920 63  娘 Sophie 死去。
「快感原則を越えて」
1921 64 「集団心理学と自我の分析」
1923 66 「自我とエス
1924 67 「マゾヒズムの経済的問題」
1926 69 「制止、症状、不安」
1929 72 「幻想の未来」
1930 73 「文明とその不満」
1931 74 「女性性について」
1932 75 「続・精神分析入門」
1937 77 「終わりある分析と終わりなき分析」
1938.3.12 ドイツ軍、オーストリア侵攻。
1938.3.13 ヒトラー、ウィーンに。
1938 78 ロンドンに移住。(6 Jun)
1939 79 「人間モーゼと一神教
精神分析学概説」(絶筆)
死去。(23 Nov)

ヒステリー研究 (1895)

 ブロイアーとの共著。症例アナ・Oを通じて、自由連想精神分析法が誕生する。

第1章 ヒステリー現象の心的機制について(予報) (1893)
第2章 病歴
第3章 理論的見解(ブロイアー)
第4章 ヒステリーの心理療法

エミリー・フォン・N夫人(40)
 主訴 動物恐怖、不安
 カタルシス

Anna O. (Belta Pappenheim 21)
 知的。豊かな想像力。エネルギッシュ。性的には未熟。
 症状
 第1期 神経性の咳。意識の瞬間的消失。幻覚。
 第2期 頭痛。ドイツ語が話せない。
 第3期 父の死語の混乱。不安発作。
 1881.6-11 Inzersdorf Sanatorium に入院。

  ブロイアーによる治療。talking cure

 
 コップの水が飲めない → 使用人が犬にコップで水を飲ませているのを目撃。
 使用人への怒りをぶちまけ、水を飲みたがり、飲んでいるところで催眠からさめる。症状消失。
  転換
 除反応
 類催眠ヒステリー 貯留ヒステリー

エリザベート・フォン・R(24)
 主訴 両足の疼痛。歩行困難
 3人姉妹の末娘。幼年期はハンガリーで幸せに暮らす。ウィーンに移住してきた18歳頃父親が倒れ看病。20歳頃父親が死去。長姉が結婚するが義兄とうまくいかず。母は目に持病あり。両眼の大手術。このころ次姉が結婚するが妊娠中に死亡。
 義理の兄を好きになり、姉の死に喜ぶ自分に罪悪感を感じる。 1892年受診。圧迫法。象徴化。症状の分析。除反応。抵抗分析

ミス・ルーシー(30)
 症状 臭覚がなくなり代わりに奇妙な臭いに苦しめられる。
 全額法
 住み込みの家庭教師。子どもたちのやもめの父親への片思い。
 臭い=父親の吸っていた葉巻の臭い。

カタリーナ(18)
 症状 呼吸困難による不安発作。
 病因 叔父からの性的誘惑。従姉妹と叔父のセックスを目撃。


性学説三篇 (1905)
欲動の源泉(source) 体の中で刺激されている部分。 性感帯
欲動の目標(aim) 刺激を満たすこと。 快感
欲動の対象(object) 欲求を充足するような人物、場所、ものなど。 性感を刺激するもの

発達理論
 出生直後は自体愛 auto-eroticism の状態。


自我とエス (1923)
 構造モデル(エス・自我・超自我)の提出。
 自我とエスが未分化の状態から、現実に対処しようとして自我が分化されてくる。