アメリカ精神分析学会 精神分析事典/バーネス・E. ムーア バーナード・D. ファイン

クライン派理論
 p.65 (誤)彼女は1882年、ウィーンのレイズ家に第四子、末子として生まれた。
  クラインの旧姓は Reizes ドイツ語読みに従えばライツェス家が適当だろう。
 p.65 (誤)クラインは5歳のとき、姉を亡くし、その後間もなく兄を亡くした。
  兄のエマニュエルが亡くなったのは、メラニーが20歳のとき。間もなくとは言い難い。
 p.65 (誤)この別居生活の後、1923年には離婚することになる。
  クラインの自伝には離婚は1923年と記載されているが、ベルリンでいったんクラインとアルトゥールは同居している。正式な離婚は1926年(?)。

ビオン理論
 (誤) p.248 1981年に死去するまで・・・
 (正) 1981年 → 1979年

精神分析事典―アメリカ精神分析学会
精神分析事典―アメリカ精神分析学会バーネス・E. ムーア

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