フロイト最後の日記 1929-1939/ジグムント・フロイト

 大きくて重い本です。いわゆる日記を想像しましたが、メモといった方が正しいでしょう。日記の最初の記述は


1929年10月31日 ノーベル賞みおくられる。
 みたいな感じです。ノーベル賞取りたかったんだね。
 おもしろい記述を拾ってみると

  • 謎の動物アダ。アダ、逃げ出す/アダ、連れ戻される/アダ、死ぬ
  • フロイト家の犬。初代ヴォルフ(ジャーマン・シェパード 1925年アナが飼いはじめ1936年まで生きる。アナはフロイトの70歳の誕生日にヴォルフの名前で詩を書いて送った。)、2代リュン・ユー Lün-Yu (チャウチャウ ドロシー・バーミンガムが1928年にフロイトに送るが15ヶ月後ザルツブルグ駅で迷子になり道で亡くなっているのが見つかる。)、3代ヨフィ Yofi (1930?-1937 チャウチャウ メス。リュン・ユーのきょうだい。卵巣嚢腫の手術後心臓発作で亡くなる。)、4代タトゥーン Tatoun (ヨフィの子。1931年に出生。父親は不明。他のきょうだいは亡くなりタトゥーンだけが生き延びた。1931年おそらくジステンバーで死去。) 1933年ヨフィがまた子どもを産むが、何匹かはヨフィが食べてしまった。フロイトが患者で詩人のH.D. の奥さんにあげようとしていた犬は人をかんだので安楽死させられた。5代リュン(ヨフィのきょうだい。いったんはヨフィと一緒にフロイト家で飼われていたが、ヨフィが嫉妬しドイチュ家にもらわれ、ドロシー・バーミンガムが飼っていたが再度飼い始める。リュンはフロイトとともにイギリスに亡命。)
  • フロイトは、アナ・フロイトの同性愛のパートナーであるドロシー・バーリンガムを分析。アナはドロシーの子どもを分析していた。
  • マリー・ボナパルトは不感症治療のためにクリトリスを動かす手術を受けた。
  • 1930.8.16 フロイト家をフェリックス・ザルテンが訪れたかも。ザルテンは「バンビ」やポルノグラフィー「ペピの日記」の作者。
  • アーネスト・ジョーンズはフェレンツィから教育分析を受けたリックマンを不治の精神病と決めつけた。(ジョーンズはよっぽどフェレンツィにうらみがあったみたいだね)
  • 1933.4.25 ムッソリーニの親友、エド・ヴァイス博士に請われて、ムッソリーニに献本。
  • 1934.4.26 「ウル」の発掘に関する書籍を購入。

http://www.webster.edu/~woolflm/annafreud.html

 翻訳に関してはおおむね問題ないと思いましたが、ハンガリー系の人々の名前の語尾が「シュ」でなく「ス」と表記されているのに違和感を感じました。ホロス→ホロシュ
 またこれは編集上のミスといった方がいいでしょうが、固有名詞にも表現の揺れが見られます。タトアン/タトゥーアン

フロイト最後の日記 1929-1939
ジグムント・フロイト 小林 司

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