Supervison は Superviser が責任を持つもの

 セーイチさんのブログを見て思ったこと。日本でスーパービジョンと呼ばれるものの多くは英語圏では Consultation と呼ばれるものです。Supervision はセラピストの訓練生に対して Superviser が行い最終的な責任を持ちます。Consultation はすでにセラピストとなった人が、経験者から指導を受けるもので、その指導を最終的に受け入れるかどうかは Consultee の責任です。だから訓練機関に所属する学生の Supervison を外部の人に依託するということは、指導者側の責任の放棄でしかないと思います。学位資格論文の指導教員と、Superviser を機関内部で分担するのはよい方法だと思いますが。
 日本で Supervision と Consultation が区別されないという現象は興味深いものがあります。Supervision という責任の所在が与える側にはずの言葉が、責任をもたないものにまで使われているわけです。日本の臨床界から責任という感覚が抜け落ちていることのひとつの現れかと思います。