物心がつく前の子どもの心に刻印されたトラウマの記憶を扱う。回復記憶などという微妙な問題もからんでくるだけに(2,3歳頃に悪魔崇拝者の犠牲となりレイプされた記憶を持つ子どもの例などが出てくる)、文学的修辞はもう少しおさえた方が良かっただろうと思う。
後、翻訳についてだけど、訳者の西澤先生(大阪大学から山梨県立大学に移られたようですね)は後書きで下記のように書いている。
これはちょっと保留にして欲しい。西澤先生の訳は日本語としては自負されているとおりこなれているけれど、日本語を読んでみて引っかかった何カ所かを原文と照らし合わせてみると、細部のニュアンスはずいぶんカットしたりずれてたりするところがあるよう。さらに、外来語表記にもかなり問題がある。細かいことにこだわるようだけど、表記がしっかりしていれば注がなくても読者は google で検索して調べることができるので表記は重要なのだ。
そして,これが大いなる勘違いでなければ,という条件付きの話ではあるが,私にはどうやら「翻訳」の才能なるものがありそうだ。(訳者あとがき p.429)
西澤先生は、通常の専門書訳出とは英語を日本語に置き換えるという意味で使われているようだが、翻訳の三割ぐらいは、テキスト text の裏に書かれていること(context 文脈)に割かれるべきだ。恐らく「通常の専門書訳出では思いもよらぬ」という態度でいることが、専門書の訳の質を低くしている。映画や芸術の分野では頑張られた(けど不十分)のだと思うけど、「虐待を受けた子どものプレイセラピー」で 「 ヘルミーネ・フーク=ヘルムート」を「ヘルマイン・フーグ=ヘルムス 」と表記した傾向は、この本でもそう変わってはいないのは残念。うわ、何だか自分の首を絞めるような記載だが、それでいろいろ誤訳を指摘してもらえばそれはそれでよいか。
本書で扱われている夥しい量の文学や芸術作に関する記述の中には,原典に当たらなくては翻訳不能と思われる箇所が少なくなかった。そうした記述に出会うたびに,私の書棚の奥から数十年前に読んだポー作品を引っ張り出し,一度も読んだことのないホーソンの小説を求めて図書館を徨い,あるいはインターネットでマグリットの絵を検索するなど,通常の専門書訳出では思いもよらぬ作業に取り組まねばならなかった。(p.430)
翻訳者にとっては恐ろしい時代になったもの。昔だったらこれはひょっとして誤訳?と思っても原書を買わないことには確認できなかった。でも amazon.com の search inside に登録されている本であれば、適当な単語を入力すれば該当箇所が検索でき、アカウントを登録してサインインすると何と該当ページをそのまま見ることができてしまう。今回の誤訳チェックが詳しいのはそういう理由です。
amazon.com search inside http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0465086446/ref=nosim/goodpiccom-20/
- タイトル 原題は"Too Scared to cry"(「怖すぎて叫ぶこともできない」)。「恐怖に凍てつく叫び」はホラー映画の引きつった叫びを連想する。原題は被害者の麻痺したこころの状態を示す重要なキーワードなのでこのズレは残念。(ぴゅん氏指摘 感謝です)
- p.17 アーンスト・クライス → エルンスト・クリス 「自我に奉仕する退行」概念で有名な自我心理学派の精神分析家。岩崎学術出版から「芸術の精神分析的研究」などの邦訳も出版されている。
- p.55 サンドア・ラド → シャーンドル・ラドー Sandor Ferenczi と同じ名前。ハンガリー系。
- p.114 ギリアン・バレー症候群(Guillain Barre Disease) → フランス人ゆえ「ギラン・バレー」(piwiさんに間違いを指摘していただきました。)
- p.114 ベネチアン・ブラインド → オフィスに良くあるあの細長い短冊が横に並ぶ形のブランドのこと。「ベネチアン」いらないのでは。
- p.114 ウォータース → ウォーターズ
- p.117 「Spellbound」現象 → 「Spellbound(呪文で縛られる)」現象
- p.117 (Chales) Despine 古典的多重人格の症例 Estelle
- p.149 ホーマー → ホメロス
- p.171 ナザニエル・ホーソン → ナサニエル・ホーソン
- p.181 私のデスクの中に、彼らの遭遇した事件に関する正式な書類がファイルされていたことは、私にとってきわめてラッキーだった。I had the advantage of having the documentation before me on my desk. → 私には目の前の机に関連書類が置かれているという強みがあった。
- p.196 冥界の王ヘジス → ハデス
- p.270 皇帝ジュリアス・シーザー → ユリウス・カエサル カエサルは皇帝(インペラトール)だったことはない。原文が違うのですが。
- p.270 預言者、霊能者、超能力者、あるいは占い師 prophets, psychics, fortune tellers, and dream predictors → 預言者、霊能者、占い師、夢による予知能力者 「あるいは」はまずい。
- p.273 ジュリア・ステファン → スティーヴン ヴァージニア・ウルフの母親。フランス人でないゆえスティーヴン
- p.279 ハイテク調のミラノ風のデザインに囲まれて仕事をしているものも何人かいる One or two are working amid the new, hi-tech Milanese styles. → ひとりや二人は新式のミラノ風の機械的な内装に囲まれて仕事をしている。hi-tech=high-tech (室内装飾) ハイテク装飾[デザイン]:装飾とは一見無関係な工業機械(製品)などを取り入れて硬質の機能美を追求する.(Random House)
- p.280 カップボード cupboard → 食器棚 cupboard は「カバード」という発音なので「カップボード」は避けた方がよい。
- p.316 タックル・フットボール → タックルしてもよい本格的なアメフト 年少者はフラッグ・フットボールというタックルしてはいけないフットボールをするらしいです
- p.404 マーシア(Mercier,M.)とデスパート(Despert,L.) → Marie Mercier と Louise Despert 、明らかにフランス系なので、「メルシエ」と「デスペール」と表記すべき。
- p.347 セックス・リング sex "ring" の容疑で逮捕 → 組織的売春
- p.405 コルターザルの『Blow UP』(大写し) → コルタサル Coltazar スペイン系なので"z"は無声音。岩波書店から「悪魔の涎」で邦訳も出ている。でもアントニオーニの映画「欲望」の原作がコルタサルとは知らなかった。
- p.408 アルヴァリズ(Alvarez,W.) → アルバレス Anne Alvarez 「心の再生を求めて」の著者表記も「アルヴァレズ」。スペイン人なら「アルバレス」(スペイン語では"b"と"v"は同じ発音)なんだけど、他の国に帰化した場合はどうかというのは微妙な問題。でもやっぱり「アルバレス」が無難だと思う。
- p.412 victimes → victims
- p.422 ともに囚われの身になった仲間の夢についてのヨゼフの・・・ → 「旧約聖書の」などと説明をいれないとこれが創世記の話だとわからない読者が多いのでは・・・
- p.423 スティーヴン・キングの『Dance Macabre』 → フランス語ゆえ『Danse Macabre』
恐怖に凍てつく叫び―トラウマが子どもに与える影響 | |
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