クレペリン回想録/エミール・クレペリン

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 東京工業大学の影山任佐先生の翻訳です。影山先生はラカン関係の翻訳もあるから、英独仏翻訳制覇ですね。見返しを見ると英語からの翻訳のように書いてありましたが、解説をみると底本はドイツ語版のようです。クレペリンというと二大精神病などの記述のある精神科教科書で有名ですが、本当は犯罪精神医学の本を書きたかったとのこと。ここら辺が影山先生の関心とも重なるのかなと思いました。ちなみにフロイトクレペリンは同い年の1856年生まれです。
 第1章「青雲編」というのが何とも「精神医療道」という感じで良いですね。医学部時代のクレペリンは、脳をもらってきて解剖したり、心理学的研究と職業としての医学の両立に悩んだり、古き良き時代のドイツ精神医学の様子が描かれています。またモルヒネ体験も。フロイトのコカイン同様、麻薬に関しては試行錯誤の時期だったのですね。
 また精神分析関連で興味深い記述はライプチィヒ大学のフレクジッヒ教授に招かれてライプツィヒ大学に赴くものの、ヴントの研究室に入り浸ったことが徒になってフレクジッヒから解雇を通告されるというところ。いまでいうアカハラであるところそうなのですが、このフレクジッヒ教授がフロイトシュレーバー症例の主治医であるというところが興味深いところ。フレヒジッヒはシュレーバーの妄想の対象にもなっているのですけど、こういう記載を読むと妄想にも現実的な根拠があったのかなと思ってしまいます。これは注のところに書いて欲しいですね。今までの邦訳では「フレシジッヒ」と表記されていたように思いますが、独和辞典で調べてみると Flechsig の発音は「フレクシッヒ」・・・どれが正しいんだろう。
 フレクジッヒはクレペリンの教授昇進にも圧力をかけ、クレペリンはヴント研究室で私講師になりますが、ここでアメリカから留学してきたサイコロジストのキャテルなどとも交流を持ちます。クレペリンは精神医学への道を断念して、哲学への方向転換を考えますが、目ざとく婚約指輪を発見したヴントに哲学では食えないと説得されて精神医学に踏みとどまります。クレペリン精神科医=脳病論者というイメージが何となくありましたが、心理学的関心を持っていた人だったのだということを改めて認識しました。まあ考えれば内田クレペリン検査の元をつくってるわけですから、当たり前なのですが・・・
 また留学中の呉秀三ユングの師匠で精神分裂病概念の提唱者であるブロイラー、アメリカ力動精神医学のアドルフ・マイヤーも登場。
 クレペリンハイデルベルク大学に勤めていたんだけど、この頃ドイツ統一はなっていましたが、心情的にはベルリンは外国だったんですね・・・(ウィキで調べたらハイデルベルクはバーデン大公国だったそうです)
 第一次世界大戦で頓挫してしまいましたが、来日を含めたアジア旅行の計画もあったようです。
 DSM全盛の昨今ですが、ドイツ精神医学をふりかえっておきたい方にはお薦めの一冊です。

 訳者後書きに下記のような記述があります。


 また、研究者向けの横組みを想定し、人名・地名を原文のままにしていたが、縦組みにして一般の読者にも広く提供できるものにしたいという編集部の意見を入れたため、改めてカタカナ表記の校閲をするというたいへんな苦労がかさなってしまった。(p.254)
 ほんとにカタカナ表記というのは非常に苦労するものなのです。適当な読みでお茶を濁している訳者はこころして読むとよいと思います。
抱水クロラール
クレペリン回想録
クレペリン回想録影山 任佐

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