ラカンで読む寺山修司の世界/野島直子

 上京したときにはすでに寺山修司は死んでいて、天井桟敷も解散していた。無邪気に寺山修司が好きとはいえないんだけど、それでも渋谷でみた映画の回顧展にはインパクトを受けた。上映途中で登場人物が突然場内の人々に語りかけ始め、電気がついて、映画の夢が無理矢理覚まされ、しらじらしく隣の人の姿が目にはいる。何もうつらない白いスクリーンに釘を打つ人、画面から飛び出し、また画面に帰っていく人。そういうギミックが寺山修司には似合っていた。
 天井桟敷の残党の人々の舞台も見たけど、なんだかジム・モリソンの死んだ後のドアーズみたいだったな・・・・。
 読みながら、そういう青春の日々を思い起こした一冊。確かに彼のいかにもつくりものの母親象は、ファミリー・ロマンスを思わせるし、彼が高校時代の俳句を成人してから改訂してたというのは、いかにも彼らしい。デビュー作の「チェホフ祭」にしても、中井英夫が作り出したフィクションであったのだから、精神分析の考察の舞台にはふさわしいか。
 もちろん寺山の頭にパロディの材料としての精神分析はあっただろうが、ラカン理論をその根幹としてたはずという筆者の主張はどうか。そんな本物探しにはあまり興味を惹かれない。
 あいかわらずあの記号がいろいろ出はじめると気持ちが覚める。

ラカンで読む寺山修司の世界
ラカンで読む寺山修司の世界野島 直子

トランスビュー 2007-02-27
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