フロイトは精神分析の忍耐と集中力が要求される仕事をしばしば外科医に喩えました。行動療法家である奥田先生は震える手で娘を一回手術するより多くの患者を手術した方がいいと考え、フロイトは中立性(無関心)ささえ保てば娘の外科手術も可能と考え、実際に娘のアナ・フロイトを分析しました。精神分析/行動療法を外科医のスキルに喩える点ではふたりとも同じですね。
「あの人は自分の子どもも育てたことがないくせに、何がわかるの?偉そうに」(中略)
外科医に対して「自分の娘の手術を一度でもしたら、もっとすばらしい手術ができるでしょうね」などといいますか? via 子育てプリンシプル/奥田健二 p.3
前者のような発言は、まあ投影といってもいいでしょうね、自分の子育てで苦労した気持ちを先生にも味わってほしいという怒りみたいなもの、それを押しつけられるから奥田先生も馬鹿なこといってと腹が立つのでしょう。力動的な立場に立てばこういう多様な投影の受け皿になることはそう悪いことではないので、感じた違和感をメモしておきます。