フロイト派から見たアドラー―番外編 その2 - 「勇気の伝道師」 ヒューマン・ギルド 岩井俊憲の公式ブログ
に下記のような記述がありました。國分先生の本からの引用です。
<その1>
フロイトは、ユングと一緒にお酒を飲もうとしたのですが、ユングが飲まないと言ったとき、フロイトは怒りのあまり失神したそうです。
これちょっと記憶になかったのでぐぐってみました。あんまりフロイトらしくないのでたぶん孫引き間違いじゃないかと思ったからです。
フロイトのユングの前のでの失神発作は確か二回。二回目が有名なユングが死体の記事について話したことをフロイトが象徴的な父親の死への願望と解釈するエピソードだったはずと思ってググってみた結果が下記の通りです。
ザビーナ・シュピールラインの人生とユング(2) - Gabbardの演習林−心理療法・精神医療の雑記帳
その年の8月20日、米国クラーク大学からの招待を受けて訪米するため、フロイトはブレーメンへ向かった。そこでフロイトは事件以後初めてユングに再会することになった。そこにはフェレンツィもいた。出航を待つ間に三人で過ごしたが、夕食中ユングの眼前でフロイトは失神発作を起こしてしまう。(『ユング自伝―思い出・夢・思想 (1)』p225)
フロイトは後になって、このエピソードのことをユングに語った。(『ユング自伝(1)』p225)失神の前にユングが死体の話を長く続けていたことをフロイトは取り上げ、それはフロイトに対する「死の願望」の現れであったと解釈している。すなわち彼は、ユングの中に父親殺しの願望を読み取り、それをしつこく見せつけられたため失神したのだ、という理解を提示しているわけだ。
8月20日の夜早く、フロイトはブレーメンに着き、ユングとフィレンツィに会いました。彼はミュンヘンからブレーメンまでの汽車の中で惨めな一夜を過ごしており、それはやがてその意味を論じることになる奇妙な出来事を部分的に説明するものでした。彼はブレーメンで昼食の主人役をつとめ、彼とフェレンツィはちょっと議論はありましたがユングを説得して禁酒の原則を捨てさせ、一緒に酒を飲ませました。しかし、この直後フロイトは失神して倒れたのです。ユングのいる所で二度そういう発作が起こりましたがこれはその一度目のものでした。夜にはユングが主人役をつとめ、次の朝彼らは船に乗りました。
Trivia on Freud in America Part 1: The Invitation | Trivia Library
After insuring his life for 20,000 marks--$4,764--Freud took a train to Bremen to join Jung and Ferenczi the day before boarding their ship. Hosting a farewell lunch, Freud ordered wine. Jung, a teetotaler, didn't want wine, but at Freud's insistence he agreed to have some. Curiously, after Jung capitulated and drank, Freud fainted.
失神発作は二回あったと記憶していましたが、日付をみるとこれは同じ日の出来事のようですね。こちらの話に寄れば、飲まないから怒ったのではなく、ユングが飲んだ後に失神したということで、フロイトは後にそれをユングがフロイトの死を願っていたと解釈したということになりますね。
いずれにしろ伝言ゲームというのは恐ろしいものですね。ここまでの話もソースを確認していないので不確定なものなのですが。
ユングが話していた死体の話というのは泥炭地ミイラ(bog bodies)のこと。泥炭地ミイラについては下記サイト参照。まあ、確かに食事時にする話ではないかな。
homepage2.nifty.com/mitsu-yu-sketchand~/bog body.html
Bodies in the Bog and the Archaeological Imagination by Karin Sanders: review - Telegraph
(追記)白水さんがフロイト失神情報についてコメントしてくださいました。
http://you.sdri.co.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=6&forum=2&post_id=426