それはやっぱり感覚が麻痺してるんじゃないだろうか。対談『「凶悪犯罪」とは何か』で安田好弘氏、加藤幸雄氏らはメディアが構成する虚像としての「凶悪犯罪」を論じてみせるが、やはりそこには犯罪被害者というものが置き去りにされている気がする。どんな首の締め方をするかで「凶悪」かどうかを判定するという発想にはついていけない。
私たち、実務的な現場の人間、事件を取り扱った人間からすると、本件だけが取りたてて残虐であるわけではないのです。 p.11 安田好弘「光市最高裁判判決と弁護人バッシング報道」
実際に多くの国で死刑が廃止されているのだから、死刑廃止という運動自体がそんな無理な主張とは思わない。しかし、それならば少なくとも死刑廃止は終身刑の設置の主張とセットになるべきだと思うし、「凶悪」でないから死刑にしない、のではなく、「凶悪」であっても死刑にするべきではないというスタンスでなければ、また犯罪被害者を深く傷つけることが繰り返されるだろうと思う。
光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか―年報・死刑廃止〈06〉 | |
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