臨床心理学グローバリズム 「これからの臨床心理学/下山晴彦」

 下山先生の作る架空事例って、クライアントが認知行動療法に至る前に精神分析やロジャーズ派のセラピストに相談に行っていて結局ダメで、最終的に認知行動療法家のところにきて、やっぱりエヴィデンス・ベースド偉いみたいな展開になるのが多いんだけど、あきらかに前かかっているセラピストはいまひとつな人ばかりなんだよね。強迫性障害の人に、これは幼児期のトイレットトレーニングなどの厳しいしつけが原因ですからそのことについて話してくださいとか、ロジャーズ派だったらセラピー終えても喫茶店で話聞いたりとか。
 そんなカウンセラーに勝ったところで全然認知行動療法の凄さがみえないと思うのだけど。


 それとエビデンス・ベースドでない療法を選択すると訴訟の対象になるみたいなこと書いてあるけど、エビデンス・ベースドだろうが効果でるのはたかだか6〜7割じゃないの?療法選択よりセラピスト個人の要因の方が大きいことはどんな実証研究だって出てるんだから、やはりいろいろなことを試してみるっていう視点を保持するほうが大事じゃないだろうか。まあ強迫性障害の人にSSRIとか試さず、延々洞察的な心理療法続けているのはぼくもどうかと思いますけど。


 臨床心理学と、カウンセリングと、心理療法がくっきりわかれているイギリス偉い、まざってる日本ダメとも書いてあるけど、ロックとハードロックとロックンロールをくっきりわけたって音楽を楽しむ上では何のかわりもないなって思っちゃうな。あれはやっぱりユナイッテッド・キングダムとか、ユナイテッド・ステイツだからこそああなるんだと思う。そういえばイギリスの精神分析が第二次大戦の頃あれだけ精神分析の理論の対立があったのに、結局分裂しなかったのは、結局ユナイテッド・サイコアナリシスになったから。アイデンティティを失わず結合するのが得意なんだって。あの人たちは。
 イギリスのエビデンス・ベースド臨床心理学に対する批判が全くなくて、全肯定なところは結局ロジャーズ派やユング派が日本に取り入れられた過程とパラレルでこれもまた日本の輸入文化のステレオタイプ。イギリスみたいな国は臨床心理学が人間学的視点をスプリットオフしているから、軍事協力も問題ないし、『サイコパス』みたいな異常人間をエビデンスベースドで定義しようぜ、みたいなことをサイコロジストがやるようになるんだと思う。


 批判も書いたけど、「心理臨床学」批判に関しては結構共感。しかし臨床心理学会は名前間違えて書かれてるだけじゃなくて、壊滅、壊滅と何回も書かれてるな・・・。

  • p.147 日本臨床学会→日本臨床心理学会
  • p.226 スラブ系のフランスやイタリア、スペイン → ラテン系

これからの臨床心理学 (臨床心理学をまなぶ)
これからの臨床心理学 (臨床心理学をまなぶ)下山 晴彦

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