という主張通り、論は著者の「個」を見つめる営みから始まる。そして師である河合隼雄のコメントや自らの訓練分析の体験。著者自身のフィールドワーク巡りの話が続く。
「心理臨床家」は、自分自身すなわち「個」を徹底的に見つめることなくして心理臨床の実践を行うことはできない。(p.21)
でもほんとうにそうなのかという疑問は残る。本来みつめるべきはクライアントであり、そのために自己を見つめるという順番ではないのか。
ようやく第5章で神経性食欲不振症のクライアントのセラピー過程が描かれて、違和感はさらに高まる。
行動療法を受けたいといって来談したクライアントに対して、セラピストは自分の「物語」との関連性から興味を持つ。もちろんセラピストの頭の中には行動療法家を紹介するという選択肢はない。
そしてセラピーのプロセスの中でセラピストはクライアントに宣言する。「わたしが納得できなければ入院は認めない」と。過食嘔吐のあるクライアントのバイタルよりもっと重要なことがあるのだと著者は考えている。
これはおそらく著者の訓練分析家である河合隼雄の次のフレーズとパラレルなのだと思う。河合と著者との間でいったん訓練分析が終了した後、河合は電話で著者に告げる。「やはりあの夢では終われないので分析を再開したい」。分析再開の提案ではない。それは決定事項の伝達である。
河合隼雄という巨人のモーニングワークは長く長くかかるのであろう。でもその次に進むべきステップがあるはずだ、と思う。
体験の語りを巡って(日本の心理臨床4) | |
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